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仙台展示会・講演より(一部抜粋)06.09
伊藤 喜剛 (いとう・よしたか)
ユードム。茨城県出身。

■ドーピング疑惑で変わった人生


アトランタ五輪の前の年、東ドイツのコーチだったホルストさんと2人3脚で日本チャンピオンになり、10秒22という記録も出た。ホルストさんは、ボクが足らなかったところをはっきりと指摘して、すごくプラスになったんです。スプリンターとしてプラスになるような、筋力トレーニング処方や、食事についてなど。毎日「肉を食べろ」と朝から肉、肉、肉・・・。その冬のトレーニングも、とても順調に進んでいたんです。

冬季合宿でアメリカのアリゾナで日本代表の合宿をしていたら、抜き打ちのドーピング検査をする、と言われたんです。400mハードルの山崎、苅部、斉藤たちと一緒に、です。国際陸連の抜き打ち検査がある、というのは、世界で認められた証拠でもあるわけですから、「俺もそんな選手になったんだ」と嬉しかったのをよく覚えています。
その後しばらくして、ドーピング検査で陽性になった、と報告があったんです。筋力増強剤です。ボクはもちろん、身に覚えがないことですから、何のことかさっぱり、わからなくて。ドーピング陽性反応で、4年間の出場停止処分となったのですが、当然人生最大の目標にしていた、オリンピックの夢が目の前からなくなったんです。また、それよりも、大きな汚名を着せられた。ボクは、すぐに日本陸上連盟に無実を訴えたのですが、Bサンプル検査でも陽性反応が出て、道は閉ざされたんです。

その後、普段お世話になっていたスポーツクラブの社長さんが弁護団を結成してくれて、必死に無実を証明しようとしました。増強剤を使っていないことを明らかにしようと、睾丸にメスもいれました。とっても痛いんですよ。天井がガラス状になっていて、手術しているのが見えたんです。痛いのとつらいので気が遠くなりました。でも、この事を絶対に人に伝えるんだ、と耐えて見てました。
結局、裁定は覆らず、途中国際陸連の罰則規定が変わったので、2年間の停止処分になって。マスコミの取材もすごかったです。ワイドショーなんかも。1998年復帰しました。絶対に汚名を晴らしたかったですから、練習をしました。とても調子が良かったんです。

でも、座骨神経痛がきて。無理は承知でしたがそれでも走って、国体優勝もしました。シドニー五輪の年、いける、と思ったのですが、練習中スパイクが真っ二つに割れて、足の裏に突き刺さる事故があったんです・・・。 いろいろありました。周りの人が、たくさん離れていきました。応援してくれる人もいました。
不幸だった、と思いますか?いえ、ボクは不幸だったと思いません。今まで知らなかった世界をたくさん見ることができました。このように、人前で話すこともできます。今は、ドーピングだけでなく、スポーツ社会がより良いものになって欲しい、そしてそれを伝えるのがボクの役割だと考えています。

講演を終えた伊藤氏と短距離選手の菅原新(当時:仙台大学)