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平尾 誠二 (ひらお・せいじ)
1963年生まれ。京都府出身。
元日本代表チーム監督
元ラグビー・ナショナルチームディレクター

最後の競い合いで勝つためのメンタルタフネスを育てていく

■好きだからこそ高まるモチベーション
       自律心に裏付けられた“楽しむ心”を持て


−内から湧き出る強いモチベーションこそ日本人アスリートに最も必要なもの

私はプレーヤー時代からずっと、日本人選手と海外のトッププレーヤーとの差は、メンタル面にあると思っていました。特にゲームに臨むモチベーションのレベルがまったく別次元と感じているのです。

海外のトッププレーヤーは、自分のプレーの最も根源的な部分に、ラグビーを楽しむという感覚を持っています。楽しむという表現をすると、日本ではすぐに面白可笑しく取り組むというイメージを抱かれがちですが、彼等の楽しむ感覚というのは、好きなものを極限までつきつめたい、究めたいという感覚、好きだからこそとことんやりぬきたいという感覚です。皆さんも、何か自分の好きなことに寝食を忘れて没頭するという気持ちは理解できるはずです。彼等のプレーの根源は、そこにあるのです。

一方、日本の選手はどうでしょう。これは多分、ラグビーに限らないのではないかと思いますが、プレーのモチベーションが彼等のように自分の内側にあるのではなく、外側にある場合が多いのです。つまり、先生に叱られるからやる、他人に見られて恥ずかしくないようにやる、あるいは先輩などにあれこれ言われないようにやる、という感覚です。こういうモチベーションはまず、叱る人や、見る人や、あれこれ言う人がいなくなれば、簡単に低下してしまいます。それよりももっと重要なことは、こうした外側からモチベーションを与えられた選手は、苦しい競り合いになった時、絶対に内側から湧き出るモチベーションを持った選手に勝てないということです。

私には、海外のトッププレーヤーは苦しい競り合いになったときに、その競り合いを楽しんでいるかのように見えます。自分自身をどこまで追い込んでいけるのか、自ら賭けを楽しんでいるかのようなのです。しかし日本の選手は自分自身に対するモチベーションが低いですから、極限の競り合いになると諦めが早く、失敗した後の言い訳ばかり上手になります。自分自身に対して律することより、人に説明することにばかりエネルギーを使うのです。

日本ラグビーのレベルアップのためにはさまぎまな課題が考えられますが、私はまずこのモチベーションの持ち方を根本から変えねば、その先のどの部分をいじっても同じではないかと考えています。

−ジャパンに外人が6人入っているのは、和魂洋才ならぬ 洋魂和才を培っていくため

現在、ジャパンには6人の外人選手がいます。ラグビー以外の競技の人にはわかりにくいかもしれませんが、ラグビーの場合、所属する協会の中から選手を選んで代表チームを組むことになっていますから、日本国籍でない選手でも、日本ラグビー協会に所属していれば日本代表に選ばれることがあります。私はしばしば、現在のジャパンのキャプテンであるマコーミック選手に「日本人はメンタルタフネスがない」と言われます。彼は、「日本人は最後の大切なところでミスをする、最後の大切なところでバテてしまう、最後の大切なところで諦める」と手厳しいことを言います。

15人の選手のうち6人も外人がいる日本代表に対して、いろいろと批判を受けることもあります。しかし私は、彼等を目先の勝負に勝つための助っ人という感覚で代表に入れているのではありません。彼等の練習に取り組む姿勢、ゲームに臨む姿勢、内から湧き出るモチベーションの高さに裏付けられたプレーを日本人選手に直接肌で感じてほしいからこそ、そのお手本としてふさわしい選手を選出しているのです。
よく、和魂洋才といいます。海外の優れた技術を進んで取り入れ、それを日本人の気質に合うようにアレンジすることを指した言葉です。しかし私は今、日本のラグビーにはその逆の、洋魂和才のコンセプトが必要だと思っています。

意外に思われるかもしれませんが、外人に比べて日本人の方が、プレーはスキルフルなのです。繊細な技術を駆使させたら日本人はかなりのレベルを発揮できます。日本人に比べれば、外人のスキルは大ざっぱに見えるほどです。しかしゲームで勝つために自分の持ち味を最大に発揮するという部分になると、日本人は圧倒的に劣ってしまいます。その差をつくっているのが、先ほどからいうモチベーションの違いなのです。だから、そういう彼等のメンタルを学んで自分たちの優れたスキルを活かす洋魂和才という視点が大切と考えるわけです。

−原点にラグビーの楽しみがあったからこそ、その後の試練もレベルアップのためと思えた

私自身、こうして長年ラグビーに親しんで生きてこれたのも、自分の内側にモチベーションを持てたからと思っています。ラグビーが好きでたまらないから、常にもっとうまくなりたいと思っていました。そして、人に指示されて動くのではなく、自分の判断を活かしてプレーしていくことの喜び、プレーを創っていく喜びがあったからこそ、自分に厳しい課題を課してこれたのだと想っています。

そんな私のプレーの原点、モチベーションの原点を創る環境を与えてくれたのが、中学の時の顧問の先生です。大抵の場合、運動部の顧問は体育の先生ですが、その方は美術の先生でした。だから発想が常にクリエイティブで、ジャージ上下の色のコーデイネイトを気にするような、洒落っ気のある人だったのです。先生は私たちのプレーにあれこれ制限を加えることなく、生徒の発想を重視してくれました。だから、私たちは常に考え、工夫し、トライすることを許されたのです。私はそこで、判断する楽しさ、プレーを創っていく楽しさを覚えました。

進んだ高校はラグビーの強豪校で、練習はどちらかといえばパターン化した部分が多く、先生も怖くて、中学とは違った環境でした。確かにチームメイトの多くは、自分のモチベーションというよりは、先生が怖くて動いていたという部分があったでしょう。実際、私も中学の経験なしにいきなりあの高校の環境に入ったら、人に言われて動く選手になっていたかもしれません。しかし、すでに私は内なる向上心を植え付けられていましたから、「上達のために通過しなければならないもの」としてプラスにとらえることができたのです。

そうした私の姿勢を見て、先生もやがて私の判断を活かすような環境を用意してくれました。そうなると、重い責任を背負わされて、ますますやる気が出てきます。よりレベルの高いプレーを目指して、自分自身で一層、厳しい練習に取り組むようになりました。ですから私は少年期の指導者には、いかにしてそのスポーツを好きにさせるかを工夫することが大事だと言い続けています。好きになれば、うまくなりたいから、強くなりたいから、自然に一生懸命になり、自分のためのモチベーションを育てることができます。どんな種目に携わっていても、自分の内なるモチベーションを持って、自分の頭を使って判断して、プレーを創り上げていく喜びをつかみ取ってほしいと思います。

−始めから「戦術で勝負」と逃げてはダメ。フィジカルな部分も限りなく近づけていく

日本のボールゲームでは、しばしば日本人の戦術という面 が強調されます。技術、体力で外人に劣る分を戦術的なもので補おうとする発想です。しかし私は、初めからフィットネスの部分を諦めてはいけないと思っています。常にフィジカルフィットネスを高めていく努力が必要です。戦術をいたずらに重視すれば、プレーに決め事が多くなり、結果的に個人の発想を制限します。それでも戦術的なことが高度に機能すれば当面 はいけますが、すぐに分析されて対策が立てられてしまうでしょう。そうなると、その戦術が破られるか否か、バクチを打つようなことになってしまいかねません。

プレーとは最後は個人の能力なのです。瞬間、瞬間にいかに個人が質の高い判断と動きを生み出すか、そこにかかってきます。その点から、例えばフィットネスをレベルアップして今まで5メートルあった差を3メートルにまでつめれば、それまで使う余裕のなかった技術も使えるようになるでしょう。そうなると戦術にもバリエーションが増えて決め事で勝負していくバクチではなくなるはずです。

いまジャパンは、パシフィックリム大会でまだまだ勝負という意味では最良の結果は出ていませんが、ボールの保持率を調べると以前よりずっと時間が長くなっています。同じ負けでも、以前のように相手に余裕がある中で負けるのではなく、攻撃の回数が増え、最後まで対等に競り合う試合になっています。ものすごく時間がかかるでしょうが、今後も長期的視野で改革を進めていきます。まずは99年のワールドカップ出場権を獲得し、本大会で今までにない日本のラグビーをアピールしたいと思っています。

(このインタビューは1998年に行われたものです。)